医療モデルとの違い
まず、よく対比される「医療モデル」と「社会モデル」をシンプルに整理します。
- 医療モデル(従来の見方)
- 障害 = 個人の身体機能・精神機能の「欠損」や「異常」の問題
- ゴール = リハビリや医療による「改善」や「正常化」
- 社会モデル
- 障害 = 個人の機能そのものではなく、「社会の側にあるバリア」がつくり出すもの
- ゴール = バリアを取り除き、誰もが参加できる社会をつくること
たとえば、「階段しかない駅のホーム」と「エレベーターがある駅のホーム」を比べてみましょう。
同じ車いすユーザーでも、前者では移動がほとんど不可能になり、後者では問題なく移動できます。
このとき「問題」は、
「立って歩けないこと(個人の機能)」ではなく「エレベーターがない駅(社会環境)」
にある——と考えるのが社会モデルです。
日本の企業向け解説でも、障害は個人の問題ではなく、社会環境とあいまって生じるものであり、その障壁を取り除くことは社会の責務だとする考え方と説明されています。

WHOのICFが示す「環境要因」の重要性
WHO(世界保健機関)は、健康と障害をとらえる国際的な枠組みとして「国際生活機能分類(ICF)」を定めています。
ICFでは、障害は
- 身体機能・構造
- 活動(Activity)
- 参加(Participation)
- 環境要因(Environmental factors)
の相互作用としてとらえられています。環境要因には、物理的な環境だけでなく、制度・習慣・他者の態度なども含まれます。
つまり国際的にも、「障害は人と環境の関係性の中で生じる」という社会モデル的な考え方が標準になりつつあるといえます。
なぜ今、障害の社会モデルが重要なのか
日本にどれくらい「障害のある人」がいるのか
内閣府「令和6年版障害者白書」によると、身体・知的・精神の3区分を合計した推計では、
国民の約9.2%が何らかの障害のある人とされています(※2016・2018・2020年の調査にもとづく推計)。
複数の障害が重なるケースや、制度上の定義に含まれないグレーゾーンの方も含めると、実際にはさらに多くの人が何らかの「生活のしづらさ」を抱えている可能性があります。
少子高齢化が進む日本では、加齢に伴う視力・聴力の低下や慢性疾患などにより、「生涯のある時期に何らかの障害のある人になる」可能性は誰にとっても現実的です。
社会モデルは、「一部の人のための話」ではなく、「誰にとっても自分ごと」として障害を考えるためのフレームと言えます。
法制度も「バリアを取り除く社会」へ
日本では、
- 障害者基本法
- 障害者差別解消法
などを通じて、「社会的障壁を取り除くことは社会の責務」という考え方が示されています。
国や自治体の研修資料でも、
- 情報へのアクセス
- コミュニケーション
- 物理的な環境
のそれぞれの段階で、障害のある方が排除されない社会をつくる必要があると明記されています。
やすまさこうした流れと歩調を合わせる形で、企業や学校、地域社会も「障害の社会モデル」をベースにした取り組みが求められています。その重要なピースの一つが、これから紹介する生成AIです。
生成AIの進化で広がる障害のある方の可能性
生成AIと既存の支援技術が組み合わさると何が起きるか
世界経済フォーラムは、生成AIが既存の支援技術やロボティクス、学習支援、アクセシビリティソリューションと組み合わさることで、障害のある人の自立や参加を大きく後押ししうると指摘しています。
ハーバード・ビジネス・レビューも、生成AIが仕事・教育・日常生活におけるアクセシビリティを高める可能性とともに、インクルーシブな設計が不可欠であることを強調しています。
ここからは、具体的な広がりをいくつかの領域に分けて見ていきます。
1. 情報アクセスのバリアを下げるAI
テキスト・音声・画像を「好きなかたち」に変換する
生成AIは、テキスト・音声・画像・動画を柔軟に変換できます。これにより、例えば次のような支援が可能になります。
- 長い文章をやさしい日本語や箇条書きに要約し、認知特性や学習スタイルに合わせて読みやすくする
- 文字情報を音声に変換したり、音声をリアルタイムで文字化したりする
- 画像や図表の内容を、テキストで詳細に説明する(視覚に障害のある人の情報アクセスに有効)
Appleは2024年に、iPhoneやMacを点字ディスプレイと連携して使える新機能「Braille Access」を発表しました。今後の実装により、視覚に障害のある方の情報アクセスはさらに広がっていくと期待されています。
こうした機能と生成AIの文章生成・要約能力が組み合わさることで、「どのような情報も、自分に合ったかたちで受け取れる」社会に近づいていきます。
2. コミュニケーションを支えるAI
手話・音声・テキストの橋渡し
英国のスタートアップ企業は、テキストをAIで手話に翻訳し、アバターが手話で伝えてくれる技術を開発しています。これにより、手話通訳者が不足している場面でも、ろう者・難聴者のコミュニケーションを支えることが期待されています。


今後、生成AIによる
- 手話 ⇔ 音声・テキストの相互変換
- 感情やニュアンスを含めた表現の生成
が進めば、異なるコミュニケーション様式を持つ人同士が、より対等な形でやりとりできるようになる可能性があります。
チャットボットによる相談・申請サポート
インドでは、行政の福祉部門が、障害のある人のためのAIチャットボットを導入し、福祉制度の案内や相談受付を行う取り組みが始まっています。


- 音声入力
- 多言語・多方言への対応
- 自動分類と担当部署への振り分け
などと組み合わさることで、「制度はあるのに、情報にたどりつけない」「申請手続きが複雑で利用できない」といった社会的バリアを下げることができます。
3. 学び方・働き方を変えるAI
学習支援:自分のペースで、自分に合う説明を
生成AIは、一人ひとりの理解度や関心に合わせた学習コンテンツを作るのが得意です。
- 苦手な科目を、例え話や図解を使って説明してくれる
- テスト問題を、自分の得意・不得意に合わせて自動生成してくれる
- レポートや企画書の構成を一緒に考え、下書きづくりをサポートしてくれる
認知・学習特性のある方や、精神疾患などで集中力の波が大きい方にとって、「自分のペースで何度でも聞ける相手」が手元にいることは大きな安心につながります。
就労支援:業務環境そのものを変える
社会モデルの観点では、「障害のある人を仕事に合わせる」のではなく、「仕事の側を変える」ことが大切です。生成AIはそのためのツールにもなり得ます。
- 会議のリアルタイム文字起こし・要約で、聴覚に障害のある人や情報処理に時間がかかる人が参加しやすくなる
- 定型的な文書作成や情報検索をAIが補助し、疲労しやすい人の負担を軽減する
- 多言語対応のチャットボットで、言語のバリアを下げる
これらはすべて、「個人の能力を変える」のではなく、業務プロセスや職場環境側を変えるアプローチです。
社会モデルの視点から見る、生成AI活用のポイント
生成AIは大きな可能性を秘めていますが、使い方を誤ると、逆にバリアを強化してしまうことがあります。社会モデルに立ったとき、どんな点に注意すべきでしょうか。
1. 「できない人を補う技術」ではなく「環境を変える技術」として捉える
生成AIを、「障害のある人の欠けた能力を補う道具」とだけ見てしまうと、どうしても医療モデル的な発想に引きこまれがちです。
社会モデルに立つなら、
- どんな場面で、どんな社会的バリアがあるのか
- そのバリアを、AIでどう変えられるか
という環境側のデザインから出発することが重要です。
例:聞こえない人のためにAIが“正常な聞こえ”を再現する、ではなく音声前提の会議や動画コンテンツを文字・画像・要約など多様な形式で利用できるようにする。
といった発想の違いが生まれます。
2. 当事者参画と共同設計は必須
国際的な議論では、障害のある人を単なる「ユーザー」ではなく、「共同設計者」として巻き込むことの重要性が繰り返し指摘されています。
- 開発プロセスの早い段階から、障害のある方と一緒に要件を考える
- 実証実験やパイロット導入で、フィードバックの仕組みをつくる
- 失敗や課題も含めて透明性を高め、継続的に改善する
といった取り組みが、社会モデルにもとづくAI設計には欠かせません。
3. バイアス・プライバシー・認知負荷への配慮
生成AIには、次のようなリスクもあります。
- 学習データに含まれる偏見をそのまま再生産してしまう(障害に関するステレオタイプなど)
- 利用履歴から、センシティブな健康・障害情報が推測されてしまう
- 常にチャットボットとやりとりさせることで、かえってストレスや認知負荷が増える
これらのリスクを軽減するには、
- 障害や病名に関する出力の扱いに慎重になる
- データの扱いについて、わかりやすく説明し、本人の選択権を守る
- 「常にAIを使うこと」を前提にせず、アナログな選択肢も残す
といった設計が必要です。
これからのインクルーシブ社会と生成AI──まとめ
この記事で見てきたポイントを整理すると、次のようになります。
- 障害の社会モデルとは、障害を「個人の欠陥」ではなく、「社会の側にあるバリア」として捉える考え方であり、WHOのICFなど国際的な枠組みとも整合的である。
- 日本では国民の7〜8%が何らかの障害のある人と推計され、誰もが人生のある時期に当事者となる可能性が高い。
- 生成AIは、情報アクセス・コミュニケーション・学び方・働き方といった場面で、社会的バリアを下げるツールになり得る。
- ただし、社会モデルを踏まえ、「個人を矯正する技術」ではなく「環境を変える技術」として設計・運用することが重要である。
- 障害のある方の参画、バイアスやプライバシーへの配慮、複数の選択肢を残すことが、インクルーシブなAIの鍵である。
パパゲーノAI福祉研究所としては、今後も
- 障害のある方の視点を軸にしたAI活用事例の紹介
- 企業・自治体・教育現場に向けた実践的なガイドの発信
- 当事者と開発者をつなぐ場づくり
などを通じて、「社会モデルにもとづくAI福祉」を探究していきたいと考えています。
参考文献・参考資料
※本文中の内容は、以下のような一次情報・公的資料・専門メディアに基づき、要約・再構成しています。
生成AIとアクセシビリティに関する最近のニュース(AIチャットボット、手話アバター、アクセシビリティ機能の拡充 など)
- 内閣府「障害者白書」および関連統計資料(日本における障害のある人の推計人口など)
- 内閣府・内閣官房等の研修資料(障害者差別解消法、社会的障壁の除去、共生社会の基本的考え方)
- WHO, International Classification of Functioning, Disability and Health (ICF)(障害の概念と環境要因の位置づけ)
- 日本の解説記事:「障害の社会モデルとは?」「共生社会と心のバリアフリー」など(社会モデルのわかりやすい説明)
- World Economic Forum “Generative AI holds great potential for those with disabilities”
- Harvard Business Review “Designing Generative AI to Work for People with Disabilities”










