導入:なぜいつも「○○さんのExcel」がないと回らないのか
「このファイルは○○さんしか触れない」「計算式が壊れたら締め日が終わるまで徹夜」──
福祉事業所で、そんな“Excel職人”に支えられた現場を見たことはないでしょうか。 Excelはとても便利な道具ですが、特定の人のスキルに業務が依存すると、休職・退職・制度改定のたびに大きなリスクになります。
この記事では、なぜ福祉現場で「Excel職人」依存が起こるのか、その背景とリスク、そしてExcelを活かしつつ組織として脱・属人化していくための現実的なステップを整理します。

福祉現場にいる「Excel職人」とは?
Excel職人の典型的な役割
ここでいう「Excel職人」とは、次のような人を指します。
- 利用者ごとの記録、請求、出席簿などをExcelで一元管理している
- 関数やVLOOKUP、ピボットテーブル、マクロなどを駆使している
- その人にしか分からないシート構造やルールが多い
- トラブルが起きると「とりあえずあの人を呼ぶ」状態になる
現場の業務を効率化しようと、善意で作り込まれたファイルであることがほとんどです。
問題は、「個人の工夫」がいつの間にか「組織のインフラ」になってしまうことです。
どんな業務がExcel化されやすいのか
福祉分野では、次のような業務がExcelで自作されやすいです。
- 利用者基本情報・アセスメントの一覧
- 個別支援計画の進捗管理表
- サービス提供実績・出欠管理表
- 給付費請求の元データ作成
- 職員のシフト表・勤務表
- 行事や送迎ルートの計画表 など
「既存のソフトでは細かいところまで現場に合わない」「今すぐ必要だから、自分で作ったほうが早い」といった事情から、自作のExcelが増えていきます。

なぜ福祉現場でExcel依存が生まれるのか
制度・書類の複雑さがExcelを呼び込む
サービス種別や加算、減算など、多くの要素を組み合わせて運用する仕組みになっています。
サービス種別や加算、減算などのルールが多数あり、現場からは『分かりづらい』『把握が大変』という声も多い制度です。
報酬改定や様式変更が行われるたびに、関連する帳票やチェック項目が見直されることが多いです。
報酬改定の内容によっては、帳票やチェック項目の修正が必要になることがよくあります。
国や自治体が公表する様式の中には、Excel形式で配布されているものも多くあります。
障害福祉・介護分野では、申請書や実績報告などがExcel形式でも提供されることがよくあります。
「とりあえずこの様式をベースに現場向けに改造しよう」となる
気づくと巨大な“なんでもシート”に育っている
この流れは、著者が関わってきた多くの事業所で共通して見られます。
福祉事業所の現場では、似たような流れになるケースが少なくありません。
結果として、「制度に合わせてExcelを改造できる人」が重宝されるようになります。
専用システム導入のハードルが高く感じられる
本来であれば、障害福祉・介護向けの専用ソフトやクラウドサービスを活用する選択肢もあります。
それでもExcelが選ばれがちな理由には、次のようなものがあります。
- 初期費用やランニングコストへの不安
- 運営規模が小さく「そこまでお金をかけられない」と感じる
- ソフトの操作研修にかける時間がない
- 「どうせ制度がまた変わる」と、投資をためらう
- 過去データの移行が大変そうに見える
こうした不安の結果、「今あるExcelを直しながら使い続ける」選択になりやすいのです。

Excel職人依存のリスク
個人に依存した“ブラックボックス化”
Excel職人依存の最大の問題は、業務が“見えない”ことです。
- どのセルにどんな計算式が入っているか分からない
- 間違ったところを触ると、どこが壊れたのか誰も分からない
- 作った本人が異動・退職すると、誰も直せない
ヒューマンエラーと情報漏えいのリスク
Excelは柔軟である一方で、人の操作ミスに弱い面があります。
- 実際に、メールの誤送信や誤ったファイル添付などは、個人情報の漏えい事案として各種ガイドラインでも注意喚起されています。
- 「福祉分野では、障害や病歴、生活状況などの機微な情報を扱うため、小さな操作ミスが利用者さんの権利侵害につながるおそれがあります。
手作業でのコピー&ペーストに頼る構造そのものが、エラーの温床になります。
組織全体の学びがたまらない
Excel職人が「なんとか回してくれる」状態は、一見するとありがたいことです。
しかし、その状態が続くと、次のような弊害が起こりやすくなります。
- 他の職員が業務フローや制度の理解を深める機会を失う
- 業務改善のアイデアがExcelファイルの中に閉じ込められる
- 新しく入った職員が、仕組みを理解するまでに時間がかかる
本来は組織全体で共有されるべき知識が、ファイルと特定個人に紐づいたままになってしまいます。

それでもExcelが手放せない理由(心理・文化面)
目の前の業務を止められない
- 福祉の現場では、『今日の利用者支援』や『今月の請求』に追われることが多くなりがちです。
- 日々の支援や毎月の請求業務が優先され、中長期的な改善に手が回りにくい現場も少なくありません。
中長期的な改善よりも、目の前の締め切りを優先せざるをえません。
- 新しいシステムを検討する時間が取れない
- テスト導入中にトラブルがあると「やっぱりやめよう」となりがち
- 「今なんとか回っている仕組みを変える怖さ」が大きい
「なんとか回っている」ことへの安心感
Excel職人の多くは、現場を支えたいという強い思いを持っています。
その結果、次のような心理が働くことがあります。
- 「自分がやったほうが早いし、確実だ」と感じる
- 他の人に任せてミスが起こるくらいなら、自分で抱え込む
- 「自分がいないと回らない」ことが、ある種の責任感にもなる
組織側も、「あの人に任せておけば安心」と考えがちです。
こうして、お互いの期待と不安がかみ合って、Excel職人依存が固定化されていきます。

Excel職人の力を「組織の資産」に変えるには
まずはマニュアル化と共有から
いきなり「Excel禁止」にする必要はありません。
最初の一歩として、「Excel職人の頭の中にあるルール」を見える化することが大切です。
- ファイルの目的・前提条件を書き出す
- 入力・出力の手順をスクリーンショット付きでマニュアル化する
- シートごとの役割と、絶対に触ってはいけないセルを明示する
- ファイル名・保存場所・バージョン管理のルールを決める
権限分散とレビュー体制をつくる
属人化を防ぐためには、「複数人で見て・触る」体制が必要です。
- Excelファイルの管理担当を複数名にする
- 関数やマクロを変更するときは、必ず別の人が確認する
- 少なくとも年1回は、ファイル構造をレビューする
- 新人研修の中に「このExcelの意味・使い方」を組み込む
Excel職人は、「一人で抱え込む人」ではなく、
「仕組みを教え、改善をリードする人」として位置づけ直すことがポイントです。

Excelから一歩進むための現実的な選択肢
福祉専用ソフト・クラウドサービスを検討する
ある程度業務が整理されてきたら、専用ソフトの導入も選択肢になります。
Excelで苦労しているポイントが明確になっているほど、ソフトの比較もしやすくなります。
検討の際は、次の観点を意識すると失敗しにくくなります。
- 自事業所のサービス種別・規模に合っているか
- 既存のExcelデータをどこまで取り込めるか
- サポート体制(電話・チャット・研修)が十分か
- 将来の制度改定への対応方針が明確か
- 現場職員が「使える」と感じる画面設計か
いきなり全業務を移行するのではなく、
「請求業務だけ」「勤怠管理だけ」といった部分導入から始めるのも現実的です。
ノーコードツールやAI活用の可能性と限界
最近は「プログラミング不要(ノーコード)」で簡単な業務アプリを作れたり、
AIにExcelの関数やマクロの意味を説明してもらったりすることもできます。
※このとき、実際の利用者名や住所などを含むファイルそのものをアップロードするのではなく、関数部分だけを切り出すなど、個人情報が含まれない形に加工することが重要です。
- Excel関数の意味をAIに解説してもらい、コメントとして残す
- 入力チェックのルールを整理し、ノーコードツールでフォーム化する
- 手書きの記録をテキスト化し、Excelに取り込む作業を半自動化する
ただし、個人情報をAIにそのまま入力することは避ける必要があります。
あくまで「仕組み作り」や「学習のサポート」として、慎重に活用することが重要です。
日本の個人情報保護法や公的なガイドラインでも、外部のクラウドサービスに個人情報を提供する場合は慎重な取り扱いが求められています。そのため、個人情報をAIにそのまま入力することは避ける必要があります。

明日からできる小さな一歩
まず「現状を見える化」する
大掛かりなDX(デジタル化)をいきなり目指す必要はありません。
次のような小さなステップから始められます。
- 事業所内で使っているExcelファイルを一覧にする
- 「いないと困る人(Excel職人)」の名前を書き出す
- 「このファイルが止まると一番困るもの」を話し合う
- 困る理由を書き出し、優先順位をつける
管理職・リーダーがやるべきこと
Excel職人依存から抜け出すには、現場任せではなく、
管理職やリーダーの意識と支援が不可欠です。
- 「Excel職人頼みの業務は組織のリスク」という認識を共有する
- 業務改善やマニュアル作りの時間を、正式な業務として確保する
- 失敗を責めるのではなく、「試してみたこと」を評価する
- 必要に応じて、外部のIT・福祉に詳しい支援者に相談する
「人に頼らない仕組み」を作ることは、
最終的には利用者支援の質と、職員の働きやすさを守ることにつながります。

まとめ:Excel職人の価値を、組織の力に変えていく
【この記事のポイント】
- 福祉現場のExcel職人は、複雑な制度と限られた資源の中で現場を支える存在ですが、個人依存が大きなリスクになります。
- Excel職人依存の背景には、制度の複雑さ、専用システム導入への不安、業務を止められない現場の事情、心理的な要因があります。
- リスクを減らす第一歩は、Excelの目的・手順・ルールをマニュアル化し、複数人で共有・レビューすることです。
- 福祉専用ソフトやノーコードツール、AIなどは「Excelで苦労しているポイント」を整理したうえで、部分的な導入から検討すると現実的です。
- 管理職・リーダーが、Excel職人を「一人の便利屋」ではなく「仕組み作りのパートナー」として位置づけ、時間とリソースを正式に割り当てることが重要です。
本記事の内容は、著者がこれまでに関わってきた福祉事業所での経験や、現場の方々からうかがった状況をもとに一般的な傾向として整理したものです。全国的な統計に基づくものではないことにご留意ください。

